今年も福岡市内のある児童養護施設に寄付寄贈をしてきました。
そもそも、そのことをブログ等で報告する必要性があるのか自分自身でも疑問です。
毎年の事なので初めは特に考えもなく自分がやったことを報告したに過ぎなかったと思います。
でも年々その意味合いは自分自身でも変わり、社会情勢においても変わってきました。
寄付寄贈が終わったあとは「もう今年までにしようか」と思う気持ちがかなりあります。
何故そう思うのか、一番は「無力感を感じる」からです。
自分がやってもあの子たちの何かを変えてあげれないと思うからです。
それに、別に僕の事を待ってはいないとも思うからです。
では何故行くのか?
それは、約20年前に初めて施設に行った時の衝撃が頭から離れないからだと思います。
約20年前の僕はプライベートで非常に重い事柄を抱えていました。その反動でボランティア活動に興味を持ち施設に行っ事がきっかけであり、その時に受けた衝撃が自分の人生を変えるくらいのものだったのです。
詳しくは書けませんが、とにかくその衝撃はすごかったです。阪神淡路大震災の直後に神戸の街を見たのと同じくらいの衝撃だったのを覚えています。
そこからなんとなく、春が近づくと施設の事が気になり今の様な活動に繋がっているのですが、自分自身なんでやってるのかと問われると明確な答えが出せる自信がありません。
「そんなことしてどうなると?」
と、言う率直な疑問を投げかけられたことも多々あり単に偽善にしか映らないことも分かっているつもりです。
現に賛同者もほぼ無く、今では息子二人を強引に連れて行ってるだけですし(笑
ただ児童養護施設の置かれている現状だけは少しでも多くの人に知ってほしいと思っています。
ニュースで言われるほど寄付なども多くないし世間は無関心です。
「無関心=愛情が無い」この事が子供に与える影響は行けば数分でわかります。少なくとも子供を持つ親であればすぐにわかります。
これだけ世の中に物が溢れ、誰しもがそれなりの生活をしているように見えるけれども、学習用具すら乏しく、親の愛情を感じる事も少なく、世間から関心も持たれない子供たちが施設にいるのです。
でもそれが分かっていながら大したこともできない自分が不甲斐なく思え、今年終えたばかりの今でも「今年までにしようかな」って思いが駆け巡ります。
この児童養護施設ひとつをとっても日頃のニュースなどは何と無責任なんだと実感できると同時に、何事も自分で足を運び声を聴き状況を見てみないと解らないものだなって心の底から実感します。
そんな中で今年は少しだけ揺さぶられるシーンがありました。
去年寄贈したアニメのDVDを子供たちが一つのTVを囲んで見ている様子が伺えたからです。
「あーみんなで見てくれてるんだ。」
と、確認できてただけでほんの少しだけ達成感みたいなものを感じた気がします。
1㎜程の役にもたてた気はしませんが、ほんの一瞬だけでも楽しい時間を過ごすきっかけになれたら嬉しく思います。
頑張れとはいいたくないけど、君たちには負けないで欲しいと思います。
僕も負けないように頑張ろう。
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