最近読んだ本で知った言葉ですが、良い言葉だと思いました。
いろいろな所で使われているみたいですね。
最近のこの言葉の意味と重なるようなことがいくつかありました。
9歳の長男がなかなか靴を揃えない。まだ言っても聞かないか・・・と思いながら過ごしていましたがとうとう僕が我慢できなくなり「強制的」に靴を揃えることにしました。(よその家庭じゃ当たり前でしょうが・・・)
「一ヶ月、一切何も買わない」
交換条件は良くないとか物の本に書いてありますが、僕はこの様な方法しかわかりません。
批判も甘んじて受けますが、これで今のところ3月はほぼパーフェクトに靴を揃えており、外出先でも出来るようになりました。
あと10日経って習慣が身につけば何か記念品を与えようかと。
でも、これで「良い習慣の奴隷」になれるのなら僕は良かったと思います。
なぜそう思うかというと、最近あまりに「悪い習慣の大人」に出会うからです。
靴を揃えないのもそうですが、基本的な言葉使いや、聞くときの態度、話し方などなど。
言っておきますが僕も決して行儀もよくありませんしマナーもなっていません。
でも、「羞恥心」は一応持ってまして指摘を受けると恥ずかしい思いをし、改善に努めます。
その改善できるチャンスがあればまだいいのですが、世の中そんなに甘くありません。
そう、誰も指摘なんかしてくれません。いつの間にか恥をかき、評価をされている。
だから怖い。
そう思えばこそ、我が子などは有無を言わさず「良い習慣の奴隷」にすべきだと僕は思いました。
「奴隷」と言う響きが耳障りな感じもしますが、奴隷になってしまえばあとは考える事もないわけです。
人間は非常に優れた環境適応能力を持ちながらも極端に変化を嫌います。
だからこそ、最初が肝心なんですが気づいてからでも遅すぎることはない。
僕も息子と一緒に「良い習慣の奴隷」になることにしましたので、愛のあるご指摘を親子ともどもよろしくお願いいたします。
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