毎回、WEBとも関係の無い記事が多い中でまた全然関係のない記事です。すみません。

だからあんまりブログを書くと言うことに抵抗を感じていました。書くこと自体は好きなんですが、会社の代表としてWEBの制作会社として求められているのは何なのかと考えると、どうも筆が走らない事が多々ありまして・・・・・。

でも、誤解などを恐れずに書くことで少しでも伝わればと思ってます。

前置きはこの辺にして・・・・

 死生観などと通常の会話で口に出すと「なんだお前?」って事になるでしょう。

今年私は2回死生観を感じることになりました。

祖母の死と友人の死です。

祖母は90歳近かったので大往生でしたが、最近は会っていなかったので、とても後悔しました。

祖母をさすったその冷たさが今でも残っています。大正、昭和、平成を生き抜き戦争を経験し、父を育てた祖母を思うと今の自分の置かれている立場や環境なんてなんと甘ったれているのかと思います。

でもこの様な気持ちや感情を自分がもてるのも祖母の死があったからこそ。人は死してもなをメッセージを送り続ける事ができるわけです。

中国古典に「死を憎むなら、生を愛せよ」と言った意味の一節があった記憶があります。まさにその通りだと思います。

私の親友も結婚してすぐ、初孫が生まれる直前にその親友の妻の父上が亡くなると言う経験をしました。

そこで、その親友も死生観を持ち日々家族が生きている幸せを感じていると語っていました。

人の死は何かを伝えるメッセージで生きている物はそのメッセージを感じてより一層頑張って生きなければならないと思います。

 

友人の死は本当にショックでした。

学生時代によく学校を抜け出して遊んでいた仲で、ほんとやんちゃなヤツで何かと言えば摩擦を起こすような男でした。

そんな男が、熊本で一人で亡くなっていた。誰にも看取られることなく。

急な病気だったのですが、数日後には親元に帰る予定だったと言います。私も悔しいですが、両親はもっと悔しかったと思います。

その彼の家の前を今でも車で通るのですが、胸にズンと来ます。何がズンと来ているのかわかりせんが。

アイツのためにも生きなければならないとも思います。彼は僕の生き方が面白いと言っていたのを覚えています。

傍若無人で何かと人を傷つけていた彼を周りは距離を置いてました、でも僕は多少嫌な面はあっても年下だった事もあり、よく飲みにも行ったし、よく話もしました。

僕のどんなところが面白かったのか結局聞くことが出来ませんが、今でも彼と飲みに行った店の前を通ったりすると本当に思い出がたくさんあります。

 

他にも書きたいことは山ほどあるのですが、止まらないので止めます。

 

また福岡で子供を餓死させる事件がありましたが、本当に悔しいです!

命の事、死の事、生きること! 子供の教育も大切だけど、大人の教育をしなければ、もっとおぞましい事件が起きます。

自分たちに何ができるのか、少し考える休日に明日はしよう・・・・。