嫌でもオリンピックのシーンが開催中は繰り返されますがスポーツの本質から離れていることはほとんどの人が感じていると思う。

「感動をありがとう!」

使い古された死語のような言葉。軽薄で薄気味悪さを僕は感じます。

この言葉を使う人はその晩寝たら翌日には感動が無くなっているのではなかと思うくらい僕が感じるところ軽薄だ。

sochi01

 

マスコミの都合の良い編集に踊らされそれに感動する。

それ自体に罪は無いと思うけれどスポーツの本当の面白さや深さはわからないのではないかと思う。

 

多くの選手が年齢や体力、精神的に今回のオリンピックが限界だと感じたとしても人気選手であればあるほど「引退」を口にできない。

浅田真央選手などはその最たるものだろうと思う。

本人は今期を最後に辞めたいと思っても、決断していても口に出せない。それはスポンサーなどの関係があるからだ。

ギリギリまで引っ張って引退そのものをビジネスにする意図があるから不用意に「引退」を口に出せない。なんと苦しいことだろう。

その辺りを考えながらオリンピックを見ていると複雑になり、「感動をありがとう」などの軽薄な言葉は思い浮かばなくなる。

他国がどのような報道をしているのかわからないけど、純粋にスポーツを楽しめる環境にならないと選手に余計な負担がかかるばかりだ。

もともとアマチュアスポーツの祭典だったオリンピックですが商業主義が表に強く出てしまっていて素直にみれませんでしたね・・・。

でも、限界を極めて闘った選手たちのコメントは本当に素晴らしかったです。ありがとうございました。お疲れ様でした。